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文政11年
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1827年
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イギリスの薬剤師J.ウォーカーが
塩素酸カリウム、三硫化アンチモン、デンプン、アラビアゴムを頭薬とする摩擦燐寸を発明
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天保02年
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1831年
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フランスのソーリアは黄燐を頭薬とする摩擦燐寸を製造
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天保07年
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1836年
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アメリカのフィリップスが黄燐燐寸の特許取得
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天保14年
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1843年
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イギリスでブライアント&メイ社設立
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★
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弘化01年
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1844年
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スウェーデンでヨンショーピンマッチ工場設立
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弘化02年
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1845年
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オーストリアのシュレッターが赤燐を発明
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弘化04年
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1847年
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蘭学者川本幸民が燐を成分としたマッチを試作
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嘉永05年
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1852年
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スウェーデンのルンドストレームが安全燐寸の特許取得
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嘉永07年
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1854年
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アメリカのゲーツが軸列機を発明
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万延01年
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1860年
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咸臨丸サンフランシスコへ航海
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元治01年
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1864年
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スウェーデンのラガールマンが自動マッチ製造機を発明、自動機による量産でヨンショーピン工場のマッチが世界中に輸出
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明治01年
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1868年
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スウェーデンのティーダホルムにヴァルカン(株)設立
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明治06年
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1873年
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柳橋の芸者が着火場面を爪から火が出たと思い失神
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★
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明治08年
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1875年
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横浜マッチが汽車印マッチを発売
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明治08年
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1875年
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清水誠が東京霞ヶ関吉井友実私邸で黄燐マッチを試作、但し販売せず
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明治09年
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1876年
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清水誠が4月東京三田四国町吉井友実別邸で安全マッチを試作発売、
新燧社を設立し9月東京本所柳原に工場を新設し本格量産化
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明治09年
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1876年
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福澤諭吉がパクリ横文字マッチラベルを叱る
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明治10年
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1877年
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日本製マッチ輸出開始
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明治11年
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1878年
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清水誠 ドイツでインプル軸発見
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明治12年
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1879年
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本多義知が明治社を設立
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明治12年
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1879年
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新燧社摺付木大販売所(後に開興商社)設立、唐物問屋が扱っていた輸入マッチを国産品に切り替えるための販売組織
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明治13年
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1880年
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アメリカでダイヤモンドマッチ設立
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明治13年
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1880年
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瀧川辨三が清燧社を設立
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明治13年
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1880年
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井上貞治郎が公益社を設立
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明治15年
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1882年
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開興商社は解散、丸善が新燧社製マッチの一手販売となる
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明治17年
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1884年
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商標条例公布
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明治18年
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1885年
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日本で黄燐燐寸製造禁止
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明治19年
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1886年
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泉田文四郎が良燧社を設立
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明治20年
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1887年
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直木政之介が直木燐寸社を設立
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明治21年
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1888年
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新燧社倒産
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明治22年
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1889年
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商標の模造・贋造紛争開始
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明治23年
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1890年
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日本で黄燐燐寸製造再開
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★
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明治24年
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1891年
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燕印商標登録
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★
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明治25年
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1892年
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桃印商標登録
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★
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明治25年
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1892年
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アメリカの弁護士ジョシュア・ピュージがブックマッチを発明
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★
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明治28年
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1895年
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ダイヤモンドマッチがブックマッチの生産開始
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明治28年
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1895年
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アメリカでオハイオマッチ設立
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明治30年
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1897年
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瀧川辨三が良燧社を買収
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★
★
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明治31年
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1898年
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フランスマッチ専売公社のカーエンとサベーヌが硫化燐マッチ発明
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★
★
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明治33年
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1900年
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ブライアント&メイ社硫化燐マッチの生産開始
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★
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明治35年
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1902年
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このころフランス製防風マッチ存在
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明治37年
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1904年
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第一次ダイヤモンドマッチ事件
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明治38年
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1905年
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ベルン協約により12年以降の黄燐マッチ製造禁止
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明治40年
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1907年
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日本燐寸製造(株)設立(直木、本多、三井物産)、業界シェア25%
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明治40年
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1907年
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日本燐寸同業組合事務所設立
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明治40年
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1907年
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輸出先中国でマッチ工業興る
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大正03年
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1914年
|
第一次世界大戦勃発
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大正05年
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1916年
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第二次ダイヤモンドマッチ事件
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大正05年
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1916年
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瀧川燐寸(株)設立(清燧社、良燧社)
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大正05年
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1916年
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鈴木商店が帝国燐寸(株)設立
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大正06年
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1917年
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東洋燐寸(株)設立(瀧川燐寸、帝国燐寸)
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大正06年
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1917年
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日本燐寸同業組合連合会設立
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大正06年
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1917年
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輸出先インドでマッチ工業興る
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大正07年
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1918年
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瀧川辨三が瀧川中学校設立
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大正08年
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1919年
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日本製マッチ輸出数量90万マッチトン(最盛期)
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大正10年
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1921年
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大阪工業試験所が耐湿マッチ発明普及
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大正10年
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1921年
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スウェーデンマッチトラスト結成
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大正12年
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1923年
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関東大震災
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大正14年
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1925年
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日本燐寸同業組合連合会、日本燐寸工業組合に改組
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大正14年
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1925年
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スウェーデンマッチトラストが日本進出
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昭和02年
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1927年
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スウェーデンマッチトラストが大同燐寸(株)を設立、(東洋燐寸、日本燐寸製造、公益社)業界シェア75%
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昭和04年
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1929年
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世界経済恐慌端緒
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★
★
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昭和04年
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1929年
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大同燐寸(株)が徳用型マッチの実用新案登録
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昭和04年
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1929年
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大同燐寸(株)が自動マッチ製造機導入
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昭和07年
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1932年
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スウェーデンマッチトラスト破産、首脳クロイガ−自殺
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昭和07年
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1932年
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スウェーデン資本の大同燐寸(株)が日本産業(株)傘下入り
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昭和08年
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1933年
|
大同燐寸(株)が日本燐寸工業組合を脱退
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昭和10年
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1935年
|
日本、スウェーデン、ソ連によるマッチカルテル
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★
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昭和12年
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1937年
|
マッチ公定価格制定
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★
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昭和13年
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1938年
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マッチに物品税課税
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昭和14年
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1939年
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日産農林工業(株)が大同燐寸(株)を吸収合併
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昭和15年
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1940年
|
マッチ統制規則による生産命令、6大都市に切符制実施
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昭和16年
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1941年
|
太平洋戦争勃発
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昭和17年
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1942年
|
日本燐寸統制(株)設立
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昭和18年
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1943年
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ダイヤモンドマッチが軍命令により防水マッチの量産開始
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昭和20年
|
1945年
|
日本のマッチ工場の50%空襲により焼失、生産量9万マッチトン
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昭和24年
|
1949年
|
マッチ統制価格撤廃
|
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昭和24年
|
1949年
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脱税ヤミマッチ氾濫
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昭和24年
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1949年
|
マッチ軸木は太軸へ移行(2ミリ角)
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昭和28年
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1953年
|
日本工業規格(JIS)「安全マッチ」制定
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昭和29年
|
1954年
|
中小企業安定法に基づきマッチ工場の新設全面禁止
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昭和30年
|
1955年
|
JIS表示許可工場は27工場
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昭和30年
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1955年
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ボール紙製のマッチ箱出現(従来経木製)
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★
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昭和30年
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1955年
|
八家化学工業(株)がブックマッチ生産開始
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昭和31年
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1956年
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中小企業安定法に基づきマッチ販売価格の協定
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昭和33年
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1958年
|
生産調整によりマッチ工場大幅操短
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昭和33年
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1958年
|
東京タワー完成
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昭和38年
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1963年
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中小企業近代化促進法施行、マッチ製造業は指定業種となる
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昭和39年
|
1964年
|
東京オリンピック
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昭和39年
|
1964年
|
日本共同マッチ(株)設立
|
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昭和43年
|
1968年
|
日本ブックマッチ協組設立
|
★
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昭和43年
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1968年
|
日産農林工業(株)がサルファレスマッチの特許を出願
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昭和44年
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1969年
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亜硫酸ガスの環境基準決定
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昭和46年
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1971年
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ドルショック、2年後には物価急騰
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昭和46年
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1971年
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ホームマッチ販売(株)設立
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★
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昭和47年
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1972年
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サルファレスマッチの特許が確定
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昭和47年
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1972年
|
マッチ軸木は太軸へ移行(2,1ミリ角)
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昭和48年
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1973年
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マッチの国内出荷数量80万マッチトン(戦後最盛期)
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昭和48年
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1973年
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韓国マッチ輸入のため、日本マッチ輸出入(株)設立
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昭和49年
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1974年
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国産マッチ100年記念式典
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★
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昭和49年
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1974年
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マッチ物品税撤廃
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昭和50年
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1975年
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兵庫県マッチ協業組合設立、ホームマッチ販売を解散
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昭和51年
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1976年
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日産農林工業(株)が業界3団体(工業会、工業組合、協同組合)脱退
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昭和52年
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1977年
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100円ライター急増
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昭和53年
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1978年
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ダイドー工業(株)倒産、日本ブックマッチ協組廃業
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昭和54年
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1979年
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家庭マッチ共販機構設立
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昭和54年
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1979年
|
マッチ業全国公正取引協議会創立
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昭和55年
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1980年
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マッチ製造設備廃棄(自動機を含む175台)
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昭和56年
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1981年
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マッチ業界の業種転換推進
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昭和58年
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1983年
|
マッチ軸木は太軸へ移行(2,2ミリ角)
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昭和59年
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1984年
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太軸移行によるJIS改正
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平成01年
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1989年
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消費税転嫁カルテル結成
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★
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平成02年
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1990年
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可燃物指定解除(東京都条例)
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平成07年
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1995年
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阪神淡路大震災
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★
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平成07年
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1995年
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製造物責任法(PL法)施行
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平成07年
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1995年
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ブライアント&メイ社廃業、商権はスウェーデンマッチへ
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平成09年
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1997年
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マッチ業全国公正取引協議会解散
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平成16年
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2004年
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消費税総額表示義務化
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平成19年
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2007年
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マッチの国内出荷量、最盛期の2%
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平成20年
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2008年
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新JISマーク表示制度に移行
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平成23年
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2011年
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東日本大震災
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平成23年
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2011年
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使い捨てライターCR(チャイルドレジスタンス)規制
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平成25年
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2013年
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たばこマイルドセブンはメビウスに改称
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平成29年
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2017年
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兼松サステック(株)(元日産農林工業)3月マッチ事業から撤退、桃、燕、象頭、馬首、筍、エビの商標を(株)日東社へ委譲
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平成29年
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2017年
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電子たばこ急増、紙巻たばこ前年比13%減
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平成30年
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2018年
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ダイヤモンドマッチ廃業
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令和02年
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2020年
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マッチの国内出荷量、最盛期の1%
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令和04年
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2022年
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日本でブックマッチ生産終了
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(2022年 5月30日 黒田康敬)
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