■スウェーデンマッチ日本進出の顛末
スウェーデンのクロイガー(Ivar Kreuger)はスウェーデン国内のマッチ会社を統合し1917年スウェーデンマッチ社を創立した。
1921年にはスウェーデンマッチトラストを結成し世界に進出した。
世界のマッチ市場を制覇し独占するためである。
まずアメリカのダイアモンドマッチ、オハイオマッチを支配下に収めた。
日本に対しては1924年に日本燐寸製造(直木,本多)に資本参加したことに端を発した。
日本は世界のマッチ市場でスウェーデン、アメリカと並ぶ生産国であったため重要な存在であった。
その後日本側は自社の或いは日本マッチ産業全体のメリットデメリット等々、紆余曲折を経て結局は1927年スウェーデンマッチが大同燐寸(株)を設立し、東洋燐寸、日本燐寸製造、公益社を吸収合併した。
日本のマッチ生産量の75%を占有した。
社長は瀧川儀作(東洋燐寸社長・瀧川家2代目)であったがスウェーデン系役員の主張が強く、日本の輸出マッチ市場が制限され、つまり大同燐寸の弱体化が謀られた。
スウェーデンの本国のマッチの基礎を固めることが目的だったのである。
1927年世界35か国に160工場を有したが、1929年世界経済恐慌が始まりスウェーデンマッチ首脳クロイガーは長年の粉飾決算がいよいよ行き詰まって資金繰りが不能となり1932年3月12日、氏は自殺した。
これであっけなく日本進出は終了した。
大同燐寸のスウェーデン系役員は同社から瀧川儀作を追放し久原系財閥の日本産業鰍ノ株式を譲渡しその傘下に入った。
その前後に2度の減増資を繰り返し瀧川氏の持株比率は3%程度になった。
世界のマッチ王クロイガーに日本のマッチ王瀧川氏は叩き潰された形となった。
1939年大同燐寸は日本産業且P下の日産農林工業鰍ノ吸収合併され2017年まで営業が継続された。
一方スウェーデンマッチはオーナーは何回か入れ替わったが現在も世界一のマッチ会社として経営されている。
参考文献
『燐寸年史』日本燐寸工業会編
『瀧川儀作伝』横田健一著
黒田 康敬
2026年06月11日