■淡路島のマッチ工場 その2
マッチ工場の日常余話
昭和44年6月13日、4月に入社した私は神戸市にあるマッチ部での二か月半の見習い研修期間を終えて日産農林工業(株)生穂工場に赴任した。
暑い日であった、明石からマッチの原材料を積んだトラックにわずかな家財道具を乗せて海峡を渡り津名町生穂の工場についた、ちょうど昼前であった。
マッチ箱に塗る側薬練りを担当する川原さんが食事をつくってくれた。
今日のハマチの刺身はさっぱりして美味いねと言ったら、あれはサバやといわれた。
それまでサバは酢で絞めて食べるもので生でたべたのは初めてであった。
夜は煮魚で大きなカレイの切身であった。
翌朝あれはエイだと知らされた、川原さんはどこからか洗濯機を見つけてきたりしてその後3年間身辺のお世話になった。
工場長は福田輝信、工場長代理は山田正章、最強の組み合わせであった。
この二人はその後私が最も影響を受けた、オヤジであり、生涯の兄貴となった恩人である。
翌朝、工場長に呼ばれ「この地に骨を埋めるつもりでやってくれ」と言われた。
とっさに、墓を買わんといかんのかと思ったりしたが、本社採用の男に腰掛け気分でいられたらこまる、という意味であったでしょう。
工場の日常
勤務時間は朝7時半から午後5時まで、冬は始業時も終業時も暗い。
当時工場勤務時間は8時から4時が一般的であったが、労働集約型工場はこんなものかと思い、あまり違和感はなかった。
掃除をして仕事を覚える。
製造工程は多くて、その作業はおもしろい。
これを見るのに、横に立ってジッと見ていたら作業している人がイヤでしょう。
私は箒をもって通路等を掃きながら見ていました。
これは工場内のどこに何があるかを知るのにも大いに役に立ちました。
出荷はポンポン船。
主要製品の出荷は工場前のちいさな防波堤から専属のポンポン船(機帆船)に積み込んで明石の倉庫に移送していました。
浜からポンポン船をボーッと見送るのは実にのどかでしたがその2年後くらいには全てトラック輸送に代わりました。
残品を一晩で片付ける。
棚卸のことを残品と言っていました。
毎月末に出荷数量を集計し、原材料、半製品、製品の残高を調べ月間生産高を算出します。
軸詰トン数、横塗トン数、仕上トン数、各工程ごとに受払をして、頭付軸木の生産トン数はこれから逆算して出します。
なぜなら各マッチ型別のトン数が使用軸木本数と完全には一致しないからです。
各工程ごとの原材料使用歩留りも出します。
異常数値が出るともう一度原材料残高を確認します。
なぜ一晩でやってしまうかと言うと、明日の朝になると原材料半製品が動いて数がよめなくなってしまうからです。
この残品表をマッチ部の業務係に送り単価を入れたら工場月次決算ができます。
塩素酸カリウムを車に積んで隠れる。
マッチの主要原材料の塩素酸カリウムは第一類指定危険物です。
従って工場建屋とは別に危険物専用倉庫があってそこで保管されている貯蔵数量は上限が決められています。
消防署の立入検査の時たまたま在庫が多かったので、その超過分をトラックに積んで隠れていました。
また税務署からも立入検査がはいります。
当時マッチには物品税がかかっていたので物品税証紙の受払残はもちろんですが、主要原材料の塩素酸カリウムの受払残から使用量を推量し生産出荷高に相違がないか裏付けをとります、
この時は在庫が超過していてもおとがめはありません。
笑われたこと怒られたこと
シッタカ貝を採る。
生穂漁港の岩にシッタカ貝がイッパイへばりついている。
シッタカ貝類とは小さな巻貝でフタがペラペラ、サザエのように厚くないものです。
鍋でゆでて竹串でつついてくるりと回して身を出す、磯の香りがしてサザエより柔らかい、酒のつまみにもってこいの食材だ。
淡路島というところは全体に食物の豊富なところでこんなものを食べる人がいない。
日曜日にバケツを岩にあてがって手でかきよせるとザクザク採れる。
これをゆでているところに山田さんが来てサッと鍋のフタを取った、中を見て「こんなもの食うと顔がいがんでしまうぞ」と言われた。そのくらい地元の人はたべなかった。
工場前の浜でアサリを採る。
アサリが採れるという話を聞いて、昼休みにバケツを持って出かけた。
採れるとれる面白いようにとれる。
つい時間を超過して工場に戻ると、山田さんが仁王立ちしていて、怒られたおこられた。
「工場の生産が予定どおり上がってないのにお前は何をしてるんだ」。
あとで俺も昔おこられたもんだと教えてくれた。
ハゲを皮付きのまま煮る。
生穂漁港の防波堤でカワハギを釣ってきて鍋で煮た。
この時もまた山田さんがやってきた、鍋のフタをあけ「皮付きのまま焚いとる」と笑われた。
淡路島ではハゲと呼んでいるカワハギは皮をはいで食べるからカワハギらしい。
関東ではカワハギをあまり見かけない、小田原でひものにして土産物屋に並んでいるのを見るくらいであった。
工場前の川でウナギを採る。
前日消防訓練で川にポンプの吸管を放り込んだとき大きなウナギがいた、これはとり逃がしたが、明日の休日に採ろうと電線を用意していると、山田さんから「お前なにしてる」と声がかかった。
「これで川に電気を入れてシビレて出てきたウナギをつかまえるんだ」
「アホッお前の方が先にシビレるやないか」てなやりとりがあって、でも何とかしたろうと、水量の少ない川だから半分せき止めて片側に水の流れを寄せて、
残った片側の水溜まりにポンプの吸管を入れて水をかきだし、干上がったところを長靴で踏んづけて、出てきたところを捕まえた、小さいけれども5〜6匹のウナギをとった。
一人で川岸を上がったり下たりしてポンプを動かして忙しいことであった。
ウナギは工場事務所の台所で焼いて食した、酒を飲んでいるので片付けがおっくうだ、翌朝やろうということにしてほったらかしてあるところを福田工場長に見つかって大いに怒られた、らしい。
らしいと言うのは私は寝ていてわからない、後で守衛から聞かされたのであった。
黒田 康敬
2020年07月14日