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ロウマッチの擦り方
■マッチ輸出と呉錦堂(六角堂主人)

 明石海峡大橋から見える舞子公園の六角堂(八角だけど六角に見える)は マッチ貿易をしていた華僑がマッチの利益で建てた建築だというふうに聞いていた。 その華僑とは呉錦堂である。

 呉錦堂(1855年〜1926年)は上海のローソク店で働いた後、1885年(明治18年)長崎に来日、 1888年33歳の時大阪で義生栄号を経営しマッチ販売を開始した。 1890年(明治23年)神戸に移り、貿易・海運会社「怡生号」を創設、 1894年(明治27年)には日本のマッチ王といわれた瀧川弁三と合弁でマッチの輸出会社「義生号」を設立して日本のマッチ輸出に勤しんだ。

 当時、マッチ生産高の80%が中国、インド、ペルシャ向け輸出で、スウェーデン、アメリカ、日本が三大マッチ生産国であった。

 明治37年版の『日本燐寸界名鑑』には兵庫県燐寸貿易業の部に怡生号(呉錦堂 神戸内栄町2丁目)、 怡和号(麦少彭  神戸栄町1丁目)、タタ商会(インド人 神戸栄町2丁目)らが掲載されている。

 呉錦堂の「怡生号」はマッチの輸出だけでなく、石炭の輸送、中国綿花の取り扱い、1904年(明治37年)頃には鐘紡株の買占め、東亜セメントの設立等華々しい事業活動をした。 六角堂はマッチ貿易で建てた訳ではないが、神戸を舞台に活躍した華僑の夢の後である。 マッチがその一つの要素であることは間違いない。

 通称六角堂は「移情閣」といい呉錦堂の別荘・松海荘に付属して1915年(大正4年)に自社のセメントを使い建てられた。現存する日本最古のコンクリートブロック建造物として国と県の指定重要文化財になっている。 同じ舞子公園内のすぐ近くには鐘紡の中興の祖と言われた旧武藤山治邸がある。 木造二階建ての洋館で国の登録有形文化財となっている。

 呉錦堂と武藤山治とは鐘紡の事業で緊密な関係があり、家族同士も親しく付き合いがあった。 この旧武藤山治邸は明石海峡大橋建設工事に伴い一時他所へ移築されていたが またこの舞子に戻ってきて昔のように六角堂と目と鼻の先にあるのはありがたい。

 なお呉錦堂がここ松海荘で孫文を歓迎したのは1913年(大正2年)のことでそのとき「移情閣」はなかった。 それなのに六角堂が1984年から孫文記念館となっているのはちょっと変だ。

参考文献
 『呉錦堂 神戸と中国』 財団法人孫中山記念会編

黒田 康敬
2013年06月17日